No | タイトル |
① | 祈りの家との出会い |
② | 『A-net247』という名前の意味 |
③ | 祈りの家とは。ーどうして今「祈りの家」なのか。←今回はココ!! |
④ | 祈りの家スタッフの証 |
今、世界中で「祈りの家(House Of Prayer)」が1万箇所以上、同時多発的に起こされています。これは人間が生み出した運動ではなく、聖霊の働きです。神さまは今、世界中の教会を“祈りの家”として完成することに情熱を注がれておられます。
アメリカ・カンザスシティにある「International House of Prayer」(主任牧師/ Mike Bickle師)は、24時間の絶え間ない祈りと礼拝をささげる祈りの家として、世界的な先駆けです。彼らは1999年から今日まで、20年以上、24時間の絶え間ない祈りと礼拝を主にささげています。残念ながら日本語サイトはありませんが、ウェブサイトに、その詳しい歴史や理念が書いてあります。
教会とは、どのような場所でしょうか?教会の中心には、何があるべきなのでしょうか?教会には様々な方が集まります。教会のスケジュールが色々なイベントで埋め尽くされる場合もあるでしょう。イエス様が立てられた教会は、本来どういう場所であるべきなのでしょうか。それが、祈りの家の答えです。
次に、いくつかのポイントを挙げます。祈りの家とは何か、より知っていただくことができたら幸いです。
① 祈りの家とは教会の本質的な回復であり、イエス様が語られた本来の教会の姿です。祈りの家は、絶え間なく“賛美と祈り”が共になされる場所です。
祈りだけではなく、賛美だけでもなく、この2つが合わされて共になされる時、天でなされている礼拝が地でもなされます。つまり、天と地がベテルのように繋がります。まず、祈りによって天の門を開き、御国のかぎを回します。また、礼拝によって、ダビデが立琴を弾くとサウルを悩ました霊が退いたように、霊的世界で打ち破りが起こります。徹底的に聖霊を歓迎し、その臨在の中、そして真理の中で深い礼拝を捧げたいと願っています。
「しかし真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません」(ヨハネ4:23−24)
② 祈りの家は、真の礼拝の回復、御言葉の回復です。
礼拝と御言葉が回復する中で、初代教会のような教会に戻るだけでなく、黙示録4−5章のように天上で行われる御心にかなった礼拝をこの地に下ろす教会となっていきます。キリストの花嫁としての教会が立て上げられ、教会が本来持つ機能、隠された奥義が回復されます。礼拝の訓練、御言葉の訓練を経て、ダビデのような立派な礼拝者になれます。短期間では礼拝者になれません。命をかけた祈り手、命をかけた礼拝者によってリバイバルは起こされます。私たちは主を知っている分量に応じた礼拝しか捧げられません。歌が上手いこと、楽器が弾けること、それが礼拝者となる条件ではありません。誰よりも御言葉に精通し、誰よりも祈り、誰よりも礼拝を愛する者…それが真の礼拝者に求められる必須条件です。
③祈りの家は、第1の戒めを守り行う場所です。
「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)
祈りの家をただのプログラム、教会が栄えるための手法として教会に取り入れたなら、教会は潰れてしまうでしょう。第1の戒めを守り行う、本当に主を愛する人だけが出来ることなのです。真の礼拝者が必要です。疲れ果てた体が礼拝によって回復し、限界にぶつかる時に祈りと断食をもって突破する…このような人たちがこの祈りの家を全うすることができます。
④祈りの家は、終わりの時代に勝利する教会のことです。
祈りと礼拝が回復し、御国の支店として機能する教会を通して神様はこの地を統治されます。終わりの時代にどんな艱難が起こっても、エジプトを襲った災いの中でゴシェンの地に住んでいたイスラエル人は主によって保護されていたように、教会がゴシェンの地となります。
⑤祈りの家とは、初代教会のように心を合わせて集まり祈り礼拝し、世代を超えて家族のように連合する教会です。
初代教会の人達は、使徒の働きによれば「毎日、心を一つにして、宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し」(2:46)、そして「交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた」(2:42)。祈りの家は、初代教会のように世代を超えて集まり共に祈り礼拝し、神の家族として、主からのしるしと不思議なみわざを体験していきます。
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。(エペソ2:19−22)
⑥「聖なる宮」である祈りの家と「聖なる山」が1つとなるとき、教会は完成します。
聖なる宮で仕える召しを受けているレビ人と、この世の各領域(職場、家庭、学校等)に出て行く召しを受けている人がいます。聖なる宮は常に主の臨在が満ちるべきです。そのためにフルタイムのレビ人が起こされる必要があります。また、宮の外で働く聖徒達は定期的に聖なる宮に留まり、そこで炎と力を受け取り主の臨在を味わい、自分たちの出て行く各領域にその炎と力と臨在を解き放っていくのです。
⑦祈りの家を通して霊的見張り人、とりなし宣教師が生み出されます。
祈りの家の礼拝者は皆、霊的な見張り人であり、とりなし手です。イエス様が再臨される時まで、私たちは見張り人なのです。昼も夜も休まず、この地に神の国と神の義がなされるように、主が再び来られるように、その日が近づくように願って叫び、祈り続けます。宮を離れず、夜も昼も断食をもって神に仕えた女預言者アンナ は、イエス様の誕生を準備していました。誰も自分の存在に気づかないとしても、神様の目には尊い存在になることができます。
「しかし、今、―主の御告げ―心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」
あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。
主が思い直して、あわれみ、そのあとに祝福を残し、また、あなたがたの神、
主への穀物のささげ物と注ぎのぶどう酒とを残してくださらないとだれが知ろう。
(ヨエル2:12−14)
行動だけでなく、心を引き裂いて主のもとに立ち返ることを主は求めておられます。個人や地域のリバイバル、社会の問題のためとりなして祈り、「主よ、憐れんで下さい」という気持ちをもって、行動と心を伴う祈りをします。
⑧キリストの花嫁として「来て下さい」と祈りの家で声をあげます。
黙示録22:17のとおり、汚れて暗いこの地・この世に「主よ、早く来て下さい」と祈ります。また再臨の日が一日でも早まるように「早く来て下さい」と祈ります。
私たちの教会では、教会メンバーになると、いつでも、24時間、好きな時に祈りに来ることができるよう、祈りの部屋が開放されています。フルタイムスタッフがいるのは、今のところ平日の日中ですが、夜も朝も、祈りに来られる方々がおられます。さらに、熱心に主を愛して、この場所に主の臨在がとどまり続けるよう、この場所から地域に主の御国が下ろされるように、祈っています。
次回は、フルタイムスタッフの1人である、京野雅子姉に祈りの家についてのお証をしていただきます。
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