結婚のコラムSご夫妻編の第3章です。第3章では結婚してからのことをお聞きしました。今回もMご夫妻がインタビュアーです。
M:結婚して嬉しかったエピソードは?
S:子どもが与えらえ、子どもたちの成長を見れたのは嬉しい。今では孫が生まれ、孫が「今日はおおぱぱ(Sの呼び名)の家で寝る!」と言ってくれるのもとても嬉しいです。
聖書に「見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。(詩編127編3~5節)」の意味がよく分かるようになった。
それから、結婚して私の祖母ともに生活する中で、年齢は90歳過ぎていたが、神様を受け入れたのは嬉しかった。
子ども二人が直接献身したのもうれしい。
私は熱がちょっとでも出ると、寝て動けなくなるので、もろもろ看病してくれるのは嬉しいですね。
M:大変だったエピソードはありますか?
K:長女が不登園になってしまったときですね。
3人目が生まれたとき、長女が幼稚園にいけなくなってしまったことがありました。
長女は「行かない」とかたくなになり、目つきが変になり、見るからにおかしかった。
自分としては世間体が気になり、失敗したくない、という思いが強くありました。
病院の児童園に相談したところ、問題ないと言われ、アドバイスとして「幼児返りさせてあげてください」との言葉をもらい気が休まりました。
その後、保育園のイベントの芋ほりをきっかけにいけるようになりました。
彼女は自分の中でこだわりがあるのか、ヤマハ(音楽教室)に習わせても、発表は一回も出ず、ボイコットしていました。
子育てはとても大変でしたね。
主人がいないときも多々あり、一人で子育てをしていました。主人がいなくてもそれはやるものだと思っていたし、大変とは思っていませんでした。
あまり夫につぶやくことなく、その場を受け取って「やろう!」「なにくそ!」と思ってへこたれないでいました。それも私の母が「熱いときは寒い時を思え。寒いときは暑いと思え」と言葉をかけてくれて、「環境に負けないで!」といわれて育ったからだと思います。
S:神様を伝えたい、伝道したい気持ちはあるが、なかなか親戚に伝わらない、というのは大変かな。
大阪のおじさんがいるが、彼が死にそうなとき、長女が示されて大阪に赴き、信じることができたのは感謝でした。
長女は何人か救いに導いてくれています。
自分の力の無さによりなかなか神様のことを伝えるのは難しいな、大変だなと思っていたが、長女が祈りの中助けてくれました。
M:結婚のルールはありますか?
S:妻からは怒らないでほしいといわれていた。
M:そのお願いは守ってくれましたか?
K:守ってくれました。あんまりケンカしないでいれている。
M:SさんからKさんへのお願いは?
S:帰ってきたときに気持ちが良いように、玄関だけはきれいにしてほしいとお願いしたかな。
私が帰ってくるころには、靴はきれいにしててねと頼みました。
K:義理の母からの最初にやってほしい仕事でお願いされたのは、Sさんの靴磨きだった。
Sやっぱり、自分の家がこうだった、というのは、結婚後の生活に影響してくる。
だいたいいつも玄関の靴はそろっていた。
最低限、自分の家もそうなっていないと『えっ』てなるよね。
M:子どもへのルールはありますか?
S:子育ての知識があまりなかったので、こういう風に育てようとかはなかった。
ただ子どもと楽しく遊ぶようにはしていた。
M:長く生活するなかでの尊敬、なおしてほしいものは?
K尊敬するところは、弱音、愚痴を言わないところです。
落ち込んでいるのを見せないし、仕事のことを持ち込まない。
淡々と物事を行い、言ったことには必ず結果をだしてくれる。
聞いたことは必ず調べてくれるので、子どもたちも父に聞けばなんでも答えてくれると思っています。
直してほしいところは、健康管理をしてほしいかな。
疲れているのにうたたねするのはどうかなと思いますね。
S:それが気持ちいいいんだけどね笑
S:尊敬するところは、気立ての良さかな。日本一だと思う。
子供に気立てがよいのは大事だと伝えている。
細かいことで怒らないし、注意しないで、ヒステリックでなくおおらか。
お願いする言い方も思いやりがあり、自分の意見だけ突き通す感じではない。
直してほしいところは、特にありません。
特別いうには、Kさんが目が悪いのか、階段のほこりがあると、いいかげんにやっているのではないかと思い悲しくなって、「階段きれいにしてね」と伝える、ということはある。
私もやればいいということだが笑
仕事もやって、家のこともやってはハードルが高いなと思っている。